4月14日(日)主日礼拝 召天者記念礼拝

 

前奏

 

招きの詞 (詩編100:1-3)

全地よ、主に向かって喜びの叫びをあげよ。

喜び祝い、主に仕え

喜び歌って御前に進み出よ。

知れ、主こそ神であると。

主はわたしたちを造られた。

わたしたちは主のもの、その民

主に養われる羊の群れ。 

 

頌栄 28番(21)あるいは545番(1954年版)

 

(罪の告白)

あわれみ深い父なる神よ

わたしたちは無知と弱さの故に、また故意に、思いと、言葉と、行いによって、あなたと隣人に対して罪を犯しました。

わたしたちは、お与えくださったあなたの愛と、わたしたちのうちに与えられている神のかたちを傷つけました。

これらの罪のゆえにわたしたちはみ前に悲しみ、恥じ、悔いています。

神は真実な方ですから、わたしたちが罪を言い表すとき、主イエス・キリストのあがないの故に、わたしたちの罪を赦し、あらゆる不義からわたしたちを清めてくださいます。今、わたしたちは自らの生活をかえりみて、これから1分間の沈黙のうちに、それぞれ自分の罪をみ前に覚えて祈ります。

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わたしたちの罪のために、十字架で死に、よみがえられた御子イエス・キリストの故に、どうか、わたしたちの罪をお赦しください。

主イエス・キリストのみ名によってお祈りいたします。アーメン。

 

讃美歌 379番1,2,3,6節(21) 

  

聖書 

ヨハネの手紙一2章7-17節

 

マタイによる福音書22章34-40節

 

  

(祈り)

すべての人の造り主なる神さま

見えざるあなたを見上げ、礼拝をささげます。

今日ここに、わたしたちを招いてくださいましたことを感謝いたします。

今日は特に、小平教会ゆかりの召天者の方を覚えつつ、ご遺族の人たちと共に礼拝を守りたいと思っております。この礼拝の上に、あなたからの祝福がありますようにお祈りいたします。

あなたは、罪の赦しと和解のために、神の御子をつかわして、わたしたちに魂の平和を与えてくださいました。感謝いたします。

召天者の人たちのお名前を見ながら礼拝をささげます。

昨年の召天者記念礼拝後、2名の方が加わりました。暫く、病気のため、また施設に入られて等、教会に来られなくなりましたが、長い間、教会で共に礼拝を守り、信仰をもって亡くなられ、天に帰られた方々です。

また多くの、ここで教会生活を送られた先達の人々、兄弟姉妹、教職の方々、これらの人々に、あなたが求道する心を与えられえ、世にはない恵みに満ちた生涯を過ごさせてくださいましたことを、感謝いたします。

また、これらの人たちが教会を支えて、今日の教会があることを覚えます。

天に召された人々に、変わらざる平安をお祈りいたします。

また、わたしたちにも、自らの死について思いを巡らさせてださい。

心をこめて讃美し、祈りをささげることができますように、お願いいたします。

そして、慰めと励ましが与えられますように、上より導いてください。

今日、午後行われる墓地礼拝の上にも、恵みと慰めが与えられますように、お願いいたします。

感謝、願いを神の御子、主イエス・キリストの御名によって、おささげいたします。アーメン。

  

説教 「初めから存在なさる方

 

(こどもの方へ)

 いつもは仲の悪いグループが、おんなじ敵のために一つになるということは、こどものけんかでもあることです。今日のマタイによる福音書のお話では、ファリサイ派の人々が、いつもは仲の悪いサドカイ派の人々がイエスさまに言い負かされたと聞いて、一緒に集まった、と書かれています。そうして、一人の人が、この人は律法の専門家でありましたが、イエスさまを試そうとして、「先生、律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか」とたずねました。

 律法は、旧約聖書の中にたくさん出てきます。なにか知っていますか? 安息日を覚えて聖としなさいとか、殺してはならないとか、盗んではならないとか、父と母を敬いなさい、これも律法です。これらは十戒ですが、他に「子山羊をその母の乳で煮てはならない」(出エジプト記23:19)というものもあります。

 あまりにたくさんあるので、どれが最も重要かということは、その人の信仰をよく表す答えになります。意地悪のためこの人たちがイエスさまに質問してくれたおかげで、わたしたちは、イエスさまのお考えを知ることができました。それは「神さまを心から愛しなさい」ということと「隣人を自分のように愛しなさい」ということでした。十戒の後半も、結局は隣人を愛すこと、隣人を大切にする、ということです。そうすれば、甘すぎたり、厳しすぎたりする間違いを少なくできるでしょう。また、「自分のように」と言われています。自分を正しく愛することは難しいことです。わがままになったり、ひくつ(どうせ、わたしなんかだめと思うこと)になったり、意外と難しいことです。でも自分を正しく愛することのできる人は幸せな人です。イエスさまによって、そのような人にしていただき、神と隣人を愛する人になりましょう。

 さっきお読みしましたヨハネの手紙一2章7―8節に、古くて新しい掟のことが述べられていました。「愛する者たち、わたしがあなたがたに書いているのは、新しい掟ではなく、あなたがたが初めから受けていた古い掟です。この古い掟とは、あなたがたが既に聞いたことのある言葉です。しかし、わたしは新しい掟として書いています」。そして、「わたしは神さまを愛します」と言いながら、隣の人を憎むのはおかしなことだと注意がされています。9節に「光の中にいると言いながら、兄弟を憎む者は、今も闇の中にいます。」と書かれています。神さまを心から愛する人は、神さまのお造りになった人を愛しなさい、と言うのです。なぜなら、神さまは人となって、この世に来られ、どんな人も最後まで愛され、そのために十字架にかかられたのですから。だから、神さまを愛する人、イエスさまに救われた人は、人を心から憎むということはできなくされています。わたしたちは、ほんとうにわたしたちを愛してくださったイエスさまを見失うと、いつの間にか、第三、第四のものが大切になって、一ばん大切なものを忘れてしまいます。時々、わたしたちは、ほんとうに大切なものは何だろうと考えることは必要なことです。

 今日は召天者記念礼拝と言って、この小平教会の教会員で、今は天に召された人たちのいたことを思って、礼拝する日です。週報の二枚目にお名前が載っています。たくさんいらっしゃいます。この小平教会で、今と同じように礼拝を守っていた人たちです。もしかすると、こどもの時から、二階の部屋や親子室で礼拝の時を過ごした人もいるかもしれません。日曜日ごとに、日曜学校や礼拝に出て、大切なものを大切にして神さまと共に生き、神さまのところに行った人たちです。

 一言、お祈りいたします。わたしたちをお造りになった天の神さま、わたしたちは、いろいろな情報に囲まれていて、ためになることもありますが、混乱してしまうこともあります。教会でいつも同じ話を聞き、大切なものの所に帰ることができますように、お願いいたします。イエスさまの御名によって、このお祈りをおささげします。アーメン。 

 

讃美歌 324番(21) 

 

(おとなの方へ)

 今日の礼拝は召天者記念礼拝です。わたしたちの教会の教会員として天に召された方々、また教会員のご家族等で、教会で葬儀が行われた方々のことを覚え、ご遺族の方々をお招きして礼拝を守っています。週報の二枚目の名簿をご覧ください。この前の召天者記念礼拝は2023年4月16日でした。それ以後、新たに名簿に加えられた方が、2名おられます。

 Hさんには、わたしは2003年にお会いしましたが、その時から毎週礼拝でお見かけしました。婦人会においてもいろいろ奉仕をされ、婦人会の会計もされ、クリスマスの婦人会の出し物で、オルガン伴奏をされていたことを思い出します。また、家庭訪問に来てくださいと頼まれ、住谷眞牧師とご家庭を訪ねたことが思い出されます。静かな方ですが、海外旅行などにも行かれ、活発な方と思っていました。2014年に、精神的な病気で、お休みするようになりました。電話口で、ご夫君から、そっとしておいて欲しいと言われ、それ以後、電話はしませんでした。婦人会からのカードや暑中見舞いに添えて、文章をお送りしましたが、お返事を頂くことなく、心配しておりました。もしかしたら、もう回復され、別の教会に行っておられるのかもしれないと、願望も込めて思ったりしていました。しかし、今年の1月23日に、逝去されたことを知らされました。昨年の11月に発見された癌によって、ということです。心の病気の方はすっかり良くなるということはなく、薬は飲み続けておられたということです。他の、近くの教会に行かれるということもなく、小平教会から送られてくるクリスマスカード、イースターカード、婦人会の写真入りの暑中見舞いを楽しみにしておられたことを、知りました。勇気を出してお訪ねし、教会に通うことができるようにできなかったか、悔やまれます。書かれたものを拝見しますと、北海道、室蘭市で生まれられ、函館のミッションスクールの中学・高校で過ごされ、その間、函館相生教会土居辰郎牧師から受洗され(15裁)、1995年小平教会に転入されました。小平教会によく仕え、墓地礼拝のための準備をされておられる様子が、書かれていました。ご病気になられても、真面目な信仰を持ち続けられ、そのことが負担になられる以上に慰めになって、療養生活を送られたことを信じたいと思います。

 Oさんは、小平教会で、長い求道生活を経て、55歳の時、田代忠男牧師から洗礼を受け、小平教会員となられました。1991年のイースターに受洗された記録があります。わたしがお会いする前の12年間、婦人会のご奉仕や交わりをよくされておられたようですが、わたしが赴任した頃は、体調が悪い時が多く、休みがちで、電話をいたしますと、大変喜んでくださり、背中の痛みなどが良くなるようにお祈りしてくださいとよく言われました。先日の葬儀の時、驚いたのですが、そういう体の痛みについて、親族の方に何か言われるとか、グチをこぼすことがほとんどなかったということです。Oさんが、教会をどんなに頼りにしていたか、分かりました。今年の3月23日に逝去されましたが、葬儀は、キリストの受苦日、聖金曜日に当たりました。十字架の主が共にいて、励ましてくださったことと思います。Oさんは、施設に入ることになりました時、毎週、郵送していました礼拝メッセージを、施設が受け取ってくれないのではないかととても心配されていました。教会のホームページが見られない方には郵送していますが、どのように思っておられるのか、正直よくわからないのですが、Oさんは本当に御言葉が好きな方だと分かりました。この心配に反して、受け取っていただけましたので、本当によかったと思います。また、最後に電話がつながりました時、教会の皆さんに会いたいと言われていました。しかし、家族の方以外は面会はできないということで、残念でした。御言葉と教会の人々を愛する方であったと思います。

 ここまで召天者に新たに加わった方たちのお話をいたしましたが、ここには、信仰生活、礼拝生活を共にした方々だけでなく、何らかの形でこの教会に関わった方の名前もございます。ここで葬儀をしなかった方も、ここで葬儀をしただけの方も、わたしたちはその方を責任をもって主にお委ねしたと思っています。これらの方々を含め、ここに記されているお名前を読んでみました。

 ところで、召天者記念礼拝は何をする礼拝でしょうか、ということを毎年、確認しておりますが、この礼拝において、召天者の方々の平安を願いますが、それだけでなく、わたしたちが召天者のことを覚えることを通して、その方々が地上の人生において、主イエス・キリストとの出会いを与えられ、主のものとされた、その恵みに感謝し、神をほめたたえるためにもする礼拝なのです。わたしたちも、遅かれ早かれ、地上の歩みを終える時が来ます。その死の時も、人間の死を死んでくださった方と共に死んで、父なる神のところに帰ることができるように、地上においてしっかりと神との交わりに生きていくためです。召天者のために祈るだけでなく、むしろ多くの召天者の人たちがいたことから励まされて生きるためです。

 先程お読みしましたヨハネの手紙一2章7節から17節に、神も人も憎んでいた人が、神さまの愛を受け入れて救われ、神を愛する人になった後、それでも人を憎み続けるということは、おかしなことですよ、ということが述べられています。そして、肉の欲、目の欲、生活のおごりを捨てなさい、と言われています。それらは世から出てくるもので、世も世にある欲も、死によって、過ぎ去るものです。だから世にあって、過ぎ去ることのない永遠な神の御心を行いましょう、と勧められています。永遠な神とは、世の初めから、世の造られる前から、初めから存在なさった方で、永遠に存在される方です。

 召天者の方々の中には、長寿をまっとうされた方、理不尽と思われるような亡くなり方をした方もおられますが、キリストとの出会いによって、自分が生きていることと死ぬことの意味が以前と変わってしまい、喜びと感謝の生活を送った、あるいは一時期送ったことのある人たちです。召天者の方々が、礼拝に、教会におられたありし日を思います。造られた者は、最初から存在なさる方、造り主と結びついて生きるのが何より幸せなことです。礼拝というのは、その練習をしている、させられているように思われます。  

 

(祈り)

永遠にいます神さま

わたしたちは、生まれながらには皆、あなたを知らない者でありました。

また知らされても、あなたの恵みがよく分からない者でありました。

自分のためだけに生き、人の評価がすべてでした。

あなたは御子によって、驚くべきことをしてくださいました。和解してくださったあなたが、生涯共にいてくださり、死の時も、死を超えても、共にいてくださることを知らされ、感謝いたします。

わたしたちはある時生まれ、幸福な人生を、あるいは不幸な人生を生き、またあなたのもとに帰っていきます。

どうか、今日覚える召天者の方達が暖かく迎えられましたように、ここにいます者たちも、この世での人生がどのようなものであれ、キリストの罪の赦しによって、暖かく迎えてくださいますように、お願いいたします。

感謝、願いを、復活のイエス・キリストの御名によって、おささげいたします。アーメン。

 

讃美歌 521番(21) あるいは344番(1954年版)

 

使徒信条(→こちらからご覧になれます)

 

奉献  

讃美歌 65-2番(21)  献金

主の祈り(→こちらからご覧になれます)

 

頌栄 24番(21)あるいは539番(1954年版)

 

派遣と祝福

 

後奏

 

※今週の祈りは「教会の召天者を覚えて」です。